三心 ひとつは 至誠心であり 真実のこころである

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    三心
    ひとつは 至誠心であり 真実のこころである。

     

    「真実心」、まことのこころというのは、浄土を求め、この汚れた娑婆の世界を離れようと願い、阿弥陀如来の誓願を信ずることにおいて誠のこころでなければならない。

     

    善導大師の解釈にも、「うわべには賢そうに努力精進しているかのように見せかけても、内には虚仮、いつわりのこころを持ってはならない」と説かれている。

     

    浄土を本心では願ってもいないのに、人に会うとさも願っているかのように話したり、こころの内はこの世の名誉
    や利益に執着しているのに、うわべはそれを嫌っているような風をする。

     

     表面は善良で尊いこころの持ち主のように
    振る舞っていて、心中ではよからぬことやみだりがわしいことを考えている。

     

    こういうのを名付けて「虚仮(こけ) のこころ」
    といい、「真実心」とは正反対のものとするのである。

     

     

    善導大師

    中国唐代初期に活躍した阿弥陀仏信仰者で、日本の法然および法然上人以後の浄土教に絶大な影響を与えた人物。

    法然上人は主著『選択集』において善導のことを阿弥陀仏の化身とまで評している。

     


    難行道と易行道 

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       龍樹の著書『十住毘婆沙論』のなかに、「仏道を行ずるには難行道と易行道とがある。
      難行道とは陸路を徒歩で行くようなものであり、易行道とは追い風に吹かれて海を船で渡るようなものである。つまり難行道はこの濁った末世にあって不退のさとりを開こうとするものであり、易行道はただ阿弥陀如来を信ずるという因縁によって浄土へ生まれる道である」と説かれている。

       

      法然上人は『選択集』一で、曇鸞がいう易行道は道綽の浄土門と同義とし、また『十住毘婆沙論』を、傍らに往生浄土を明かす書としている。

       

       

       

       

       

       

       


      かけがえのないものを失うこと

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        対象喪失

         

        かけがえのないものを失うこと。それをどう体験するかが、メンタルヘルスにとっては重要であるとされている。

         

         愛情や依存対象の喪失(肉親との死別や離別、失恋、子離れ、ペットの死等)、慣れ親しんだ環境の喪失(引っ越し、転校、卒業、転勤等)、身体の一部の喪失(手術や事故等)、目標や自己イメージ、所有物の喪失など、あらゆる事柄が含まれる。

         

         時間と共に心が整理されていくプロセスを、フロイトは悲哀の仕事と呼んで正常と異常の研究の端緒を開き、ボウルビーは悲哀の心理過程(喪失への抗議、絶望、離脱)を乳幼児などの観察に基づいて研究した。

         

         キューブラー・ロスは、末期患者の心理的ケアに取り組み、死の受容に類似した過程を見出した。被災者や被害者の心理的な援助にも、悲哀の理解が必要。嘆き悲しむことができないと、精神的な問題が起こる要因となる。

         

         

        …この対象は人物の時に強く現れるが,仕事とか生き甲斐,自分の身体等も含まれる。

         

         対象喪失にさいし,最初は,怒りや事実を否認することで対処しようとするが,それがどうしようもない事実として認めざるをえなくなった時に,無力感とともに悲しみが生じてくる。

         

         S.フロイトは,対象を失った危機を克服するのには,〈悲哀の仕事〉と呼ばれる悲しみを十分に表現できる作業が必要であると述べている。…

         

        それが葬儀であったり 別れの儀式にもつながっているのだ

         

        ジークムント・フロイト: Sigmund Freud、1856年5月6日 – 1939年9月23日


        出典|株式会社平凡社世界大百科事典 

        (田中信市 東京国際大学教授 / 2007年)

        出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」


        念仏の他力

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          念仏往生というのは、阿弥陀如来の名号を称えて浄土に生まれようとする筋道である これは阿弥陀如来の 誓いにかなった方法であって、正しい行ない方なのだ ひたすら阿弥陀如来の本願の力に住持されるわけであるから、これは他力の往生と呼ばれる

          〜唯信鈔より〜

           

           

          法然上人 著

          選択本願念仏宗 京都廬山寺に草稿本があります。

          廬山寺北側に隣接しているのが清浄華院です。

          清浄華院には私が住んでいた学寮があり修行の場所でもあります。

          現在でも修行道場として2年間の学寮生活をされている修行僧がいる道場です。


          罪人なお生る、況や善人をや

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            罪は十悪五逆の者も生まると信じて、小罪をも、犯すさじと思うべし

            罪人なお生る、況や善人をや

            行は一念十念なお、虚しからずと信じて、無間に修すべし

            一念なお生る、況や多念をや

             

            どのような人でも救ってくださる阿弥陀仏
            阿弥陀仏が救ってくださるからと言って、好んで悪いことをしていいはずはありません

            悪いことは悪いこと 罪は罪 それらの事は今の時代に於いても 変わらずに人の生きる道として定められております

            仏様が悪いことを進めるはずがありません「罪を犯せ」と勧めるような仏様はどこにもおりません

             

            いかなる人をも救ってくださる阿弥陀仏を前にして、自らの至らなさを認めることが大切です
            そういう自分でも救ってくださる阿弥陀仏の本願を有難く仰いで、「どんな小さな罪も犯すまい」と可能な限りの努力を実践していくべきなのです 


            他力浄土門の道

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              親鸞聖人:百界千如の深意、六大無礙の極理について法然上人に語る.. すると

               

              法然上人:「今まであなたが言われたことは、すべて自力聖道門の教義です いま他力浄土門の道をお聞かせしましょう」

              と他力易行の道と安心起行の旨を話される

               

              親鸞聖人:顔を伏せ人目も恥ずかしいほど泣き続けたとある 

               

               

               

               


              間違いなく小さな命も救われてゆくだろう

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                現生正定聚とは、現生不退(げんしょうふたい)とも言い、阿弥陀如来より回向された信心を受容すれば、浄土に往生することが定まった身となり、悟り(覚り)を開いて仏に成ることが定まる  

                 

                 


                阿弥陀仏の来迎


                法然上人の「御骨」発見か?

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                  2018/8/30
                  浄土宗大本山清浄華院 法然上人の「御骨」発見か?江戸前期に五輪塔に奉納

                   http://www.bukkyo-times.co.jp/backnumber/backnumber.html#1112

                   

                   

                  浄山の学寮があり 毎日のお勤めも我々が執り行ってきた場所だ 浄華院には法然上人の御廟があるが まさか 五輪塔にも奉納されていたとは これは凄いことだ

                  合掌 南無阿弥陀仏

                   

                   

                   


                  遺教経より

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                    もし努めて精進すれば すなわち 事として 難きものなし
                     

                    長い間の少しの水、雨だれの一滴一滴の小さな力が ついには大きな岩に穴を開けてしまうように、あなたたちも毎日休まずに、修行に励むならば、どんな事でも成し遂げられる。 遺教経


                    蝉の抜け殻

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                      蝉は長い間、土の中で暮らし ある夏の日に 地上にふ化のために出てきます。

                      ミンミン と夏だと感じさせるその鳴き声を唱え七日ほどしか生きれないと言われてきましたが、

                      そうではなかったようです。 ??? いろいろな意見があるようですが 子ども時代 蝉を飼っていた

                      頃を思い出すと 1週間もたたないうちに お亡くなりになっていたことがほとんどでした。

                      大人になって ”七日”しか生きれない ””その無常さを聞かされた時には蝉を捕まえることはやめようと思いました。

                      そんな蝉たちは毎年忘れずに土の中から出てきては 夏が来たことを教えてくれます。


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